市場を抜けたところの光景はこんな感じです。


パークナム


サムット・プラーカーンの町です。
パークナムという通称(一応タンボン≒町の名にはなってますが)で
呼ばれるほうが多いようですね。


パークナム


店の看板もみんな「パークナム」になってます。

サムット・プラーカーンとは、「海の城壁」の意味。
現在のこの町は、ラマ2世期の1822年に3年の歳月をかけて完成されました。

当時インドシナ半島の覇権を争っていたベトナムが海から攻めてくる危険性が高まり、
首都防衛のために6つの要塞とともに、いわば軍事都市として造営されたんだそうです。


で、パークナムというのは、「河口」の意味。

その名のとおり、かつてはこの辺がチャオプラヤー川の河口だったんです。
少なくとも17世紀のアユタヤ時代はこの辺でした。川幅は2倍あったそうですが。

チャオプラヤー川河口の海岸線は時代とともに後退していっています。
そもそも5~8世紀頃の海岸線はナコンパトム~カンチャナブリーだったことが
考古学調査などから分かっているんだそうな。

ラマ1・2世期もまだパークナムの辺りだったんでしょう。
対岸に建立された「プラサムット・ジェーディー」(海の仏塔)の名からも
それが窺えます。

この町が完成した19世紀前半の頃から急速に海岸線が後退していったようですね。
それでラマ5世の時代に、新たにプラジュン要塞を築造する必要性が
できたということなんだと思います。


おっと、話がそれました(笑)

ここからちょっと左に歩くとバス停がありました。
この旅の最後に乗るバスを待つことにします!




<交通費>
徒歩なので:0バーツ
ここまでの合計:120バーツ


※旅は2008年12月30日(火)に行いました。


つづく・・・


サムット・プラーカーン