タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

2015年04月

ターペー門とチェンマイ城壁 チェンマイ日帰り旅[12]

チェンマイ門から北方へ進んでぶつかったY字路を右へと進みます。


12_01


この辺は緑も多いし静かでいいなー。
こんなところに長期滞在してみたいもんだ。

なんて感じていたら左手に、


12_02


ゲストハウスが。同じことを考える旅行者が多いんでしょうね。
欧米人宿泊客が多そうな感じ。


そんな路地を抜けて東西に走る道路に出ました。
東へ向かいましょう。


12_03


英語看板密度がさらにUP。
欧米人旅行者の姿が絶えず目に入るように。

そして、


12_04


東のお堀端の通りに出ました。
ここから北上しますか。

昔はこの並木のところに城壁があったんですよね。

城壁もチェンマイ門と同じく、マンラーイ王のチェンマイ遷都
(ランナー王国成立)の1296年に建設。
お堀を掘削した残土を盛り両側を煉瓦で挟んで築いたんだそうで。

1769年、ビルマ占領下を脱したチェンマイの初代カーウィラ王が
城壁を再建。2代目の王治世下1818年に再び修復を受けます。

が、その後20世紀初頭にはタイに編入され
城壁の役割が終わったこともあり、崩れるにまかせた放置状態に。

あまりの荒れ具合に、チェンマイ市が1957年から順次城壁を取り壊し、
道路へと変えられてしまったのでした。

なんともったいないことをとも思えますが、
無残に崩れて草ボ-ボーの城壁をそのままにしておくわけにはいかず、
かといって修復には取り壊しよりずっと費用がかかるでしょうから、
致し方なかったんでしょうね。


そんな元は城壁のあったお堀端の道路沿いを歩いていくと、


12_05


コテコテの外国人旅行者向け飲食店が出現。
英語が通じるから安心できるのかなぁ ^_^;)

さらに進むと、


12_06


復元された城壁が見えてきました。

その先には、


12_07


ターペー門が!

時刻は、15:31。
チェンマイ門から12分でした。

このターペー門、1985年にチェンマイ市と芸術局により
再建されたものなんだそうな。なんでも1879年に撮影された写真や
古い記録を元に昔の姿を忠実に再現したんだとか。

タイ語版ウィキペディアのターペー門には、1965年撮影の写真が
掲載されていますが、門の間の幅が今よりずっと広いのが分かります。

ということは、65年当時の門は後世に造られたものだったんですね。
それを壊してさらに昔の姿に戻したというわけか。

そうそう、この門は元々チアンルアック門という名だったんです。
古語で「船の町」という意味。
ターペー門は、この城壁のさらに外側にあった土塁の門の名でした。

のちに外側の土塁が取り壊された際に同時にターペー門も取り払われます。
すると民衆は内側のチアンルアック門を代わりにターペー門
呼ぶようになったんだとか。

ターペー
とは「いかだの船着場」の意味。
いずれにしてもこの東側地区は水運による商業で
栄えていたことがわかるネーミングですよね。


ごたくはこれぐらいにして(笑)、
歩き疲れたので一息つきましょう。

ターペー門
を背に西を向くと道路の両側角にカフェが
向かい合って立っています。
左はタイのカフェ・チェーン、ブラック・キャニオン。右は、


12_08


The Coffee Club。
よし、こっちにしよっと。

外の席に着席するやスタッフの男性がメニューをさっと持って来ました。
気持ちいいですね~。

アイスティー・ラテを注文。
140バーツとはなかなか強気なお値段です ^_^;)


12_09


やって来ましたよ。

ターペー門
を眺めながらしばしノンビリしたのでした。


この後はチェンマイ名物のナイトバザールを見物しようかと。
まだ早過ぎますが、とりあえず向かいますか。

カフェを後にします。
時刻は16:13。

ターペー門
を通り、


12_10


東側に出ます。

そのまま東へターペー通りを歩いていくと、


12_11


トルッチーン(中国正月)のお供え物が通りに出ています。
赤い服を着た女性が線香をあげていました。

チェンマイ・ナイトバザール
の通りにもうすぐ着いちゃいますが、
17時頃かららしいんですよね。まだ早いぞ。どうしよう…。




<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:2,288バーツ

※旅は2015年2月18日(水)に行いました。

<参考>
Wikipedia "กำแพงเมืองเชียงใหม่"
muslimchiangmai.net "ประเด็นการศึกษากรณีกำแพงประตูเมืองเชียงใหม่"

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

ワットシースパン

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ




★★★お薦めのタイ語学習書★★★

     ◇ 初 級 ◇
    
『あなただけのタイ語家庭教師』 (CDブック)国際語学社

      ◇ 中 級 ◇
    
『中級タイ語総合読本』白水社

      ◇ 上 級 ◇
    
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん

ウアラーイ通りと銀細工 チェンマイ日帰り旅[11]

ワット・ムーンサーンからウアラーイ通りに出た角に
風変りな祠が立ってました。祀られているのは、


11_01


牛?

そういえばウアラーイとは、「シマウシ」の意味。
そういう種の牛がいるわけではなく、模様のある牛ってことらしいですが。

何かいわくがありそうですね。

傍に建つ案内板などによると、こういうことだそうです。

1558年からビルマの支配下にあったチェンマイは、
1774年にトンブリー王朝の援軍を受けることでビルマの支配下を脱し、
ランナー王朝の復興を果たしました。以前の王家とは別ですが。

しかしビルマ支配下末期の内乱やビルマとの戦いで
チェンマイの町は廃墟と化していました。
仕方なく王もランパーンに住んでいたほど。

時の王はとにかくチェンマイの人口を増やさなければならないと、
周辺国を攻撃しては難民を呼び込んだり、強制移住させたりし始めました。

チェンマイ
北北西280kmほどの現ミャンマー領の町モンパン攻撃時に
連行してきたタイヤイ族を住まわせたのが、このウアラーイ地区でした。
18世紀末~19世紀初頭と思われます。

王は移住させた民衆のうち、職人は町の発展のために中心部に、
そうでない民衆は周縁部に住まわせる政策を執っていました。

ここに住むことになったタイヤイ族の人々は、
そう、銀細工職人集団だったのです。

元々モンパンで居住していた地域の名がウアラーイ
なんでも谷間の地域で、そこの洞窟には金色に黒の模様の入った
特別な牛が住んでいて、谷に下りては銀の糞を落として歩いたんだとか。

住民が銀の牛糞を拾って加工したのが、
この集団の銀細工の始まりなんだそうで。

そして移住先のここにも故郷の地名を名付けたのでした。


11_02


それで牛がウアラーイ地区の守り神となっているんですね。
納得。


さてウアラーイ通りを北へ歩いていきましょう。
時刻は、15:05。


11_03


農閑期の副収入といった程度で引き継がれてきた銀細工の技でしたが、
時代の流れで会社勤めをする人が増え職人が減少。一時は50家族ほどに。

そんなこともあってワット・シースパン住職が
保護育成活動を始めたってことですね。

現在ではまた増えてきていることでしょう。
ウアラーイ地区のほぼ全ての家庭が銀細工の技術を持っていると
記述しているサイトも見かけましたので。


11_04


あ、銀細工を売る店がありましたよ。


11_05


道の反対側にも。

そうそう、このウアラーイ通りは毎土曜日に歩行者天国となり、
露店が多数並ぶんだそうで。17時頃から活気が出てくるんだとか。
今日は水曜日で残念です。


11_06


おっ、とある店先でトグロを巻いているのは、
チェンマイ名物ピリ辛ソーセージのサイウアですね。

ちなみにサイウアのタイ文字綴りは ไส้อั่ว。
牛は วัว でカタカナだと同じウアですが、意味は違います。
サイウアには牛肉は使われず、豚肉オンリーなんですよ。


6分ほどでお堀端の通りに出ました。
すぐ先には、


11_07


チェンマイ門が。

説明書きによると、マンラーイ王のチェンマイ遷都(ランナー王国成立)の
1296年に建設。関係の深かったランプーンへ向かう出口だったんだとか。

その後1801年、1966-69年に修復が行われたとのこと。
そんなチェンマイ門から城内に入り左手を眺めると、


11_08


チェンマイ門市場と書かれた市場が目に入りました。
行ってみますか。


11_09


中に入ると、さすがに夕方なのでほとんど営業していませんでした。
やっぱり市場は午前中に来ないとダメかぁ。

早々にチェンマイ門市場を後にして、
チェンマイ門前の交差点を左折。路地に入って北上します。


11_10


この辺は静かなんですね。しかし英語の看板が急に増えましたよ。
いかにも外国人向け観光地然としてきました。

とりあえずターペー門へ向かおうと思います。
この先を右に進んだほうが近そうだな。




<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:2,288バーツ

※旅は2015年2月18日(水)に行いました。

<参考> ウィキペディア「ラーンナー」

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

ワットシースパン

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ




★★★お薦めのタイ語学習書★★★

     ◇ 初 級 ◇
    
『あなただけのタイ語家庭教師』 (CDブック)国際語学社

      ◇ 中 級 ◇
    
『中級タイ語総合読本』白水社

      ◇ 上 級 ◇
    
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん

ワット・ムーンサーンと旧日本軍 チェンマイ日帰り旅[10]

銀細工の寺ワット・シースパンでトイレを借りてから、
次なる目的地へ向かうことに。

ちなみにこのワット・シースパン、太平洋戦争中は
日本軍が駐屯地と捕虜収容所として使っていたのだそうです。

ビルマ進攻とその後のインパール作戦に向かう兵員・物資集積地としては、
ピサヌローク(メーソートへの起点)やランパーン(メーサイへの起点)の
方が重要でしたが、最短ルートとなるチェンマイ-メーホンソン-トングー
の道路建設のためなどでチェンマイにも日本軍が駐屯していたんです。

この道路の完成はインパール作戦開始後。
そのため退却ルートとして重要な役割を負った悲劇の道路でもあります。


さて、寺を出て右へと。


10_01


僧侶への寄進グッズなどの売店の間を抜け、
表のウアラーイ通りに出ました。

左角は銀細工工房らしく家屋内からトンカンという音が聞こえてきます。

道を渡り右斜めに伸びる路地へ。


10_02


ワット・ムーンサーンの山門が迎えてくれます。

本当はワット・シースパンでなくこちらへ来たかったんですよ。
でも寺の名をしっかり覚えていなかったお陰で銀細工の様子を
見れたし良かったんですけどね。


10_03


ワット・ムーンサーンの入口に到着。
時刻は、14:49。

すぐの左手には、


10_04


おお、ここにもギンギラギンな仏堂が。
こちらのほうが落ち着いた華やかさが感じられて好きですね。

内部には入りませんでしたが、銀装飾が素晴らしいようですよ。


境内を反時計回りに歩いていきます。


10_05


右奥には歴史を感じさせる仏塔が。
その背後に見えるのが本堂です。

ぐるっと抜けて境内の左端へ。
そこには、ここに来た目的の建物が。


10_06


見えますか?

近くへ寄ってみましょう。


10_07


日本とタイの国旗が掲げられています。

このワット・ムーンサーンには戦時中、日本軍食糧・武器備蓄庫
傷病兵のための野戦病院があったそうです。

日本兵は周辺住民に日本語を教え、
子供に食糧を分け与えたりもしていました。

戦後、旧日本軍が終戦時に境内の池に武器を投棄して
去ったという情報を得た日本政府が調査したところ、
日本兵32名の痕跡(遺骨?)が見つかったのだそうです。


で、この建物は旧日本軍の資料館。

鍵がかかっているので、近くのあずま屋で涼んでいた
若い僧侶に尋ねたところ、鍵を管理している先輩僧侶が
外出中のため、開けられないとの返事。

ありゃー。タイミングが悪かったか。
ガッカリ。

でも「ワット・ムーンサーン」「ムーンサーン寺」でネット検索をすると、
内部の写真が掲載されたウェブサイトがいくつも見つかりますよ。


2つの国旗の前に慰霊碑があり、
基部には、


10_08


  戦友よ安らかに眠れ
1980日本印緬戦跡慰霊団
   8名の氏名

と。

そして上部には、


10_09


         慰 霊
      戦友よ安らかに眠れ
1970年2月2日吾戦友一同タイ国のこの戦跡を訪れ
亡き戦友の慰霊法要を営み謹んでこの銘を納む
   (於チエンマイ・野戦病院跡)
       32名の氏名
全国戦友連合会ビルマ・タイ戦跡慰霊巡拝団

と刻まれています。

しっかりと手を合わせました。

昨年2014年11月8日には、チェンマイ県と在チェンマイ日本領事館が
後援した「第1回タイ日友好まつり」が開催され、北タイ伝統衣装と
日本の着物姿のパレードがチェンマイ文化センターから
ワット・ムーンサーンまで練り歩いたそうです。

境内にはステージが設けられ露店も出たみたいですよ。
リンク先に写真が掲載されていますので、ぜひご覧ください。

今後、チェンマイ県の重要な恒例行事の一つとして
毎年開催していくとのこと。
日タイ友好に一役買い、かつ観光振興にもなりそうな行事で嬉しいですね。


来て手を合わせられただけでも良かったです。
そんなワット・ムーンサーンを後にしたのでした。


路地を戻ると、ウアラーイ通りとの角に祠があるではないですか。
さっきは気付きませんでした。何だろ?




<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:2,288バーツ

※旅は2015年2月18日(水)に行いました。

<参考>
「チェンマイの日本軍駐屯地と周辺事情」山口雅代,
 ワライポーン・カンジャナカルン,ティーラット・パンヨー,
 『タイ国情報』2013年9月号,日本タイ協会,2013年
Tripchiangmai.com "วัดหมื่นสาร เยี่ยมชมหอศิลป์เครื่องเงิน"
Hedlomnews "ไทย-ญี่ปุ่นร่วมงาน “ปอยมิตรภาพ”ครั้งที่1 ชื่นมื่น"
watsrisuphan.thaiis.biz "ประวัติวัดศรีสุพรรณ"

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

ワットシースパン

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ




★★★お薦めのタイ語学習書★★★

     ◇ 初 級 ◇
    
『あなただけのタイ語家庭教師』 (CDブック)国際語学社

      ◇ 中 級 ◇
    
『中級タイ語総合読本』白水社

      ◇ 上 級 ◇
    
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん

銀細工の寺ワット・シースパン チェンマイ日帰り旅[9]

ピン川沿いをワローロット市場へ向けて歩いていると、前に


09_01


山岳民族柄の生地を纏った、赤ちゃんをおんぶした女性が。

ソイ・モン
なんてのもあるし、
街中にも山岳民族の人が出てきているんですね。

バンコクだとまずお目にかかれない(観光客向け商売は除く)ので、
チェンマイにいることを最も実感した光景でした。


そしてワローロット市場東側のピン川沿いソンテオ乗り場に到着。


09_02


時刻は14:06。

次はTuiさんに教えてもらったお寺へ行きたいんですが、
またロッ・デーン(赤いソンテオ)に交渉するのが憂鬱だなー -_-;)

停車中の一台のロッ・デーンの運転手と目が合ったので、
思い切って尋ねてみます。

えーと、ワット・ウアラーイに行けますか?

「そんな寺は無いよ。ウアラーイ通りには2つの寺しかない。
 ワット・シースパンとワット・ムーンサーンのどっちだ?」

あれ? 寺の名前を聞き間違えたかな ^_^;)

そう言えばTuiさんからワット・シースパンという名を
聞いたような気もするのでそこに行くとしますか。

ワット・シースパンです。

「20バーツ」

ほお! 断られるかボラれるかかと思ってましたよ。

後ろに乗り込もうとすると、運転手さんが助手席をポンポンと叩きます。
なんと。どうもありがとうございます~ ^^

時刻は、14:11。


09_03


特等席だー。

運転手さんは、話し好きで人の良いおじさんでした。
孫が3人日本へ行っていてタイレストランでコックをしているんだとか。
滅多に帰って来ないけど月給5万バーツで稼いでいるんだと語ってくれました。


お堀端で欧米人グループが呼び止め、
なんとか山(名前忘れました ^_^;)へ行きたいと。

おじさん、やおらラミネートされた英語の観光地案内を
差し出してン百バーツと。さすが用意周到ですね(笑)

私の拙い英語通訳の甲斐もあってか、みなさん乗車して向かうことに。
おじさん良かったですね。

「一緒に行く?」

いえいえ、飛行機に間に合わなくなるので、と断りました。


そしてウアラーイ通りから右の路地に入って、
ワット・シースパン前に到着。

20バーツを支払いお礼を言って下車します。


09_04


いい運転手さんで良かった!

時刻は、14:25。


09_05


おっ、寺の看板が銀板ではないですか。

そう言えばTuiさんが銀細工がどうのって言ってましたっけ。
それがこの寺か。


09_06


境内に入ると目の前に本堂が。

こじんまりとしていますが、まさに北タイ様式。
バンコクとフォルムが違います。

ワット・シースパン
は西暦1500年創建。
今の本堂が建てられたのがいつか分かりませんが、
1994年に修復され今の姿に。

その頃から現住職が、ウアラーイ地区の銀細工工芸の保護育成に
取り組み始め、ワット・シースパン・ランナー美術工芸集団という
職人グループを組織させたんだそうで。

本堂の周囲を時計回りに歩いていくと、
トンカントンカンと音が聞こえてくるではないですか。


09_07


境内にも銀細工の作業場があるようで、
作品が陳列されています。

あ、作ってますよ!


09_08


バーナーで銀板を熱しながら、金づちで叩いています。
扇風機完備とはいえ、暑季にはキツイでしょうね~。


近くには研修センターらしき建物があって、
窓から覗き込むと、


09_09


お坊さんたちが銀細工の手ほどきを受けている最中でした。
仏道のみならず手に職を付けられる修行もできるなんていいですね。


ぐるっと回った先には、銀細工のお寺の真骨頂とも言うべき、


09_10


ギンギラギンな仏堂が!

外側も内部も銀銀銀。あまりにもギラギラ輝いているもんだから、
逆光のもとでうまく写真が撮れないほど!

この世界初という銀仏堂は、2004年から2,500万バーツの予算で着工。
地元職工さんの中から腕の良い人が選抜されて装飾に当たっているんだとか。
まだ完成していなくて、作業が続けられています。

ただ予算のうち1,300万バーツがまだ不足しているので、
寄付大募集中なんだそうですよー。

このチェンマイの銀閣寺(?)、
入口にこんな注意書きが。


09_11


女人禁制。 タイにもそういうところってあるんですね。

なんでも500年前からここには神聖なものが埋葬されていて、
ランナーのしきたりでは、女性が立ち入ることはそれらや
女性自身の身に悪影響を与えると信じられているからだとか。
 

サンダルを脱いで内部に入ると、


09_12


手の込んだ銀装飾が荘厳さというか重厚さを
醸し出していたのでありました。




<旅費交通費>
ソンテオ:20バーツ
ここまでの合計:2,288バーツ

※旅は2015年2月18日(水)に行いました。

<参考>
E-magazine Travel "วัดศรีสุพรรณ ถนนวัวลาย เชียงใหม่"
ReviewChiangMai.com "วัดศรีสุพรรณ อุโบสถเงินหลังแรกของโลก!"

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

ワットシースパン

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ




★★★お薦めのタイ語学習書★★★

     ◇ 初 級 ◇
    
『あなただけのタイ語家庭教師』 (CDブック)国際語学社

      ◇ 中 級 ◇
    
『中級タイ語総合読本』白水社

      ◇ 上 級 ◇
    
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん

ムアンマイ市場 チェンマイ日帰り旅[8]

「ムアンマイ市場入口」との看板の立った廃墟のような建物内を抜けると、

08_01


ほぉ、この市場、予想外に広いじゃないですか!


08_02


いくつもの市場の集合体って感じ。

市場を管理するムアンマイ市場株式会社の設立が1987年なので、
比較的新しい市場のようです。
名称自体が訳すと「ニュータウン市場」ですしね。

ワローロット市場
をはじめとしたチェンマイ市内の他の市場が
小売主体なのに対し、ここムアンマイ市場は卸売がメインの市場だとのこと。
勿論小売もありますが。

深夜2~3時から店が開いているそうですよ。
昼過ぎだから落ち着いちゃってますが、
午前中の賑わいは相当なもんだろうと想像がつきます。

ここは面白そうだ!

ずんずん分け入ってみます。


08_03


おっ、坊やも店番かな? ^^


08_04


並んだカレー・ペーストの手前右端は、
私の大好物、ゲーン・オムじゃないですか。
売ってるのって初めて見ましたよ。買って帰りたいぐらい。

人によってイサーン料理だ、いや、北タイ料理だと意見の分かれる
ゲーン・オムですが、最前列に並んでいるということは、
少なくとも北タイでもよく食べられている料理ってことですよね。


08_05


生鮮食品からお菓子類まで豊富な品物が売られていますよ。

屋根付きのとある一角に足を踏み入れてみると、


08_06


荷台に野菜を陳列したピックアップ・トラック数十台がズラリ!

産地直送であることがダイレクトに伝わってくる上に、
なかなか合理的な売り方だなーと感心しながら見て回りました。


08_07


ちょっと積み過ぎ(笑)
下に埋もれたの、潰れてないんでしょうか。


そんな興味深いピックアップ・トラック市場ゾーンを抜けると、


08_08


ムアンマイ市場は、もうほぼ終わり。


08_09


市場南側に出ました。左のピン川方向へと歩きますか。


08_10


道の反対側の壁伝いに歩いていると、
その壁に様々な絵が描かれているのが気になりました。

テーマは、アメリカ?


08_11


オバマさんと・・・インラック元首相?

そのままなんですね。さすが兄のタクシン元首相共々の出身地で
赤シャツ派の多いチェンマイです ^_^;)

ここってもしや?

先にあった看板を見るとやはりそうでした。
ここは、在チェンマイ・アメリカ領事館なんですね。


ピン川
沿いを南下します。
ワローロット市場まで戻ろうかと。

途中で楽器を叩く賑やかな音が聞こえてきたので目を向けると、


08_12


「おひねりを入れてください」

と兄ちゃん。
トルッチーン(中国正月)の獅子舞ならぬ竜の舞が口を開けて待っています。

し、しまった… -_-;)

20バーツを口に差し入れる代わりに写真を撮らせてもらったのでした。


時刻は、14:03。




<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:2,268バーツ

※旅は2015年2月18日(水)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

ムアンマイ市場

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ




★★★お薦めのタイ語学習書★★★

     ◇ 初 級 ◇
    
『あなただけのタイ語家庭教師』 (CDブック)国際語学社

      ◇ 中 級 ◇
    
『中級タイ語総合読本』白水社

      ◇ 上 級 ◇
    
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん
 
旅ごとに見る
このブログ内で検索
アンケートモニター登録
Gポイント
 
タグでまとめて見る
最新コメント
QRコード
QRコード